木の名称

先日、久しぶりにヨメサンといつものようにハルを連れて近くの通りを散歩しているとき、歩道沿いの大きな樹木の下に黄白色の小さな一センチ程度の花びららしきものがたくさん散らばっているのを目にした。「きれいだね、何だろう」とつぶやくと、「ほら、歌にあるでしょ、アカシアの花よ」という。ああ、そうか、「アカシアの雨に打たれてこのまま死んでしまいたい・・・」のアカシアか、とふとくちずさみそうになった。でも、待てよ、ヨメサンとは世代が違うし、こんな歌を知っているはずはないぞ。ひょっとしたら、叙情歌の「アカシアの白い白い花が咲いてる、・・・」の方かも、と。まあ、その詮索は置いといて、最近、通り沿いの樹木や花に名前を書いてあるのを時々見かけることがある。書き方も千差万別で、きちんと印刷された字で学名や特長まで説明したものから、俗名らしきものまでいろいろある。いつもの散歩道沿いの保育園の外沿いに植えられた小さな木の細い幹には「しまとねりこ」とかわいらしい字の立札が添えられていた。なかなか生長しないなとも思いながら、ハルといつも通りかかる。

この木は玄関先にいいな、このツタは塀沿いに利用できるかも、などと帰宅した後、植物図鑑やインターネットで詳しく調べたり、学習できるので、便利で結構楽しいものである。それにしても、樹木や花の名を覚えるのは未だに苦手な自分であるが、建物の新築時に前面に植えた樹木が、時が経過して大きく形よくなり、建物と調和しながらファサードを覆い隠してくるのを目にするとき、幸福感を覚える次第である。

入ってみたくなる道

我が家の前面の市道は、道幅が少し変化して不規則である。全体で百メートルの長さの道路の両端がいずれも一定の車の往来のある市道につながるいわゆる三角形の斜辺上の部分にあたるのだが、片方は七メートル幅、もう片方は四メートル幅で少し折れ曲がった尻すぼみ型になっており、大きな車の通り抜けが難しい。隣接する大型敷地は現在は大型マンションの用地になったが、以前は市の管理する総合体育館があり、休日には体育館利用の車が最短ルートを提示するカーナビの影響か、間違って入ってくるケースが多く、バックして出ていく車をよく見かけた。我が家の土地を手に入れて以来、この前面道路に関して市や隣接地と交渉をして、いくつかの是正を行ってきた。まず、すぐ近くに幼稚園や小学校もあり、園児や小学生も利用する道路であることから、バックする車の視界の危険性を少なくするため、道路ミラーや先細りの道路巾を示す道路標識(この先、細い道路のため大型車両の通行禁止の表示)をつけてもらった。(規定のせいか、標識の高さが高いので乗用車は気が付かない人もいる)。その他、市道側溝の排水蓋取替、側溝沿いのフェンス設置、道路に設置された隣接地の電柱移設等改良を行った結果、車の進入も少なく、ずいぶん安全に使いやすくなった。

一時は、ハルを初め、ワンちゃん仲間の人達から、道の両端を閉じてドッグランにしたらという冗談交じりの提案も出たほどだ。現在では、道路両脇に建てられたマンションの前面に配された多くの樹木のため、セットバックして建てた我が家も見えないほど緑陰で囲まれ、イタリア・バロックの透視画的色彩を帯びた先細りの通路に、木漏れ陽が差し込み、ハルの日々の散歩の起点となる愛着の持てる場所になった。

工事中の看板

二年間くらい続いた我が家近くの大型マンションの工事現場の長い仮設塀が少しずつ外され始めた。白く塗られた高さ二メートル位の塀には、一時敷地そばの保育園児の描いた風景画などが風雨にさらされても良いように、きちんとコーティングされ飾られていた。工事中といえども、都会の日常の風景のひとこまなのであるし、まちの快適な雰囲気を維持する上で優れた役割を果たしていると言える。S建設の工事所長さんの指示や性格であろうか、時々広い塀の外をゴミ拾いして回る作業員の人達の姿や子供たちの絵を飾るなど、孫がいるくらいの年配のやさしい所長さんなのであろうか。まだ、見かけたことがないので、想像の域を出ないのではあるが。マンションの営利を目的としたプロジェクトでも、きっと周囲のまちと調和のとれた環境を作ってくれることであろうとも期待する。春ころから現場の入口に季節を反映した大きな絵と文字が「梅雨」や「夏休み」のように掛けられていたが、絵も文字もいずれも保育園児の描いたように思っていた。

つい最近これが「残暑」から「●●の秋」という風な文字に変わった。季節を感じるかわいらしい絵はいつも通りだが、一見、幼児の字体にも見える文字の形と、文字の意味する大人っぽい感覚がアンバランスに感じ、ついほくそ笑んでしまった。「クリスマス」頃には看板も取れてしまうであろうか。ハルの新たな散歩道が出来そうなので、待ち遠しいこの頃ではある。

キューピーの忘れもの

家の近くの通りのバス停続きに整備された公園がある。歩道のそばには樹木の足元に囲まれたベンチがあり、通学生徒がよく腰を下ろしてバスを待っている。そして、その奥に、日中はベビーカーを引いたお母さんに連れられた幼児たちでにぎわうこじんまりした小公園が控えている。この公園には、木々に囲まれて小さな滑り台と子馬乗りが二台置かれており、後は土の空間だけのシンプルな遊び場である。時々、ボランティアらしきお母さんたちが周囲の木々の落ち葉の清掃をしていただいているおかげか、利用する人たちのマナーが良いせいか、ごみらしきものはほとんど見かけたことはない。ハルは毎日早朝、まず第一にこの公園を散歩するので、風景はある程度熟知している。一週間ほど前から、公園の中に二十センチくらいの小さなキューピー人形が一体目についた。その昔の自分の小さいころからある、あのプラスチック製の人形だ。ハルも最初はにおいをかいでいたがそのうち振り向かなくなった。今朝は小岩の上に置かれていた。

日によって、人形の置かれている位置が違うので、子供たちがそれで遊んでいるのだろうか。それにしても、人形はだれのものだろう。形からして、一、二歳の女の子のものか、三、四歳になると自分の忘れものに気が付くだろう。そういえば、子供たちが遊ぶ他の公園の砂場には、砂いじりの道具や小さなボールが転がっていた。最初はだれかの忘れ物だろうが、そのうち子供たちの共用の遊具になったのであろう。心を宿すともいわれる人形のことだけに、ことこの風景だけは、妙にその後も気になっている。かわいがられておくれ。

ハルの遁走

今朝は大変だった。ハルがいなくなったのだ。上の娘が仕事に出掛けた後、ヨメサンが外出の用意を始めた。ハルにとっては、我が家の順位は上の娘、ヨメサン、小生、下の娘らしい。何せ、ハルの一日二回の散歩をはじめ、朝夕の食事、用足しの世話はほとんど全てやっている自分だが、なぜか三位である。上の娘は仕事から帰宅した後にハルを抱くだけだが、なぜか一位である。まあ、それは良いとしても、ヨメサンの二位はいかがなものか。居眠りの好きなハルのそばでいつもくつろいでいる彼女が出かけるしぐさを見せるとハルがそわそわし始める。事件はその後発生した。いつも通りハルの世話を終えて、「アトリエに行くからね」とハルに呼びかけても、いつもの場所に姿が見えない。バルコニー、居間の机の下、食堂、ベッドの上と普段いそうな所には姿が見当たらない。もしかして、と、階下の玄関に行ってみた。ドアが開いている。我が家の玄関ドアは木製の大きな引き戸である。ハルの鼻の力で開けられるのだ。しまった、ヨメサンの後追いをしたなと思い、急いで駐車場の門扉の場所まで降りてみた。

すると、前の市道の十メートル程先で、ちょこんと座っているではないか。「ハル、おいで」と声をかけても、知らん顔だ。おやつを持ってきても、用心をしてなかなか近づこうとしない。家にいたので首輪もつけておらず、わが方は少々狼狽した。こんな時こそ、じっと待つのに限るのだが、生来の自己性格が反映してか「ハル、危ないよ」、「一人だとご飯に困るよ」、「後で散歩に連れて行くからね」ト呼びかけても尻尾を振り振り、ダメ。見合いが続いて二十分ぐらい経ったか、ハルがしぶしぶ寄ってきた。もう、そろそろいいかなと、思ったのかもしれない。家に連れ帰ってもなかなか玄関から離れなかった。さっきの言葉を覚えていたかな。仕方なく、セミの声の鳴く暑さの中を、異例の時間の散歩となった。「ハル、その代り途中で一杯飲むのを許してね」。

曲線の道

道路が曲がりくねって通っている道も面白いものだが、道路自体が曲線状になっているのは珍しい。私たちが普段目にする道路は歩道も含めてほとんどがまっすぐ(直線)の形状である。仮に、そういう歩道を酒に酔ったか、ふらふらと歩いている人を見かけたら、どちらかというと迷惑だ。でも、歩道自体がくねくねしていたら、本人も、他の通行人もあまり何も思わないのかもしれない。我が家の近くのマンションの敷地境界沿いにある歩道は酔っ払い用でもある。ちなみに、途中に横になれるベンチもある。と、いっても、もちろんその目的の歩道ではない。Sマンションの建設に際し、車の見通しがやや劣る上に、朝の脇道交通量の多い市道に面した敷地の一部を、外部の住民等も利用できる歩道にしていただいたのだ。この市道は小学校、幼稚園の児童も登下校時に使用するため、新しい歩道スペースは地域住民や子供たちにとって、安全で大いに役立っている。そして、その後にできた我が家隣のMマンションの際も、前例に倣って欲しいという要望をすんなり受け入れていただいた。

これで、大通りから小学校に至るまで、私的ながらも安全な歩道を確保したことになる。製作者の好意(趣味)からかも分からないが、民間の道路だから自由に出来た曲面形状の歩道は、従い片側は直線、対側は曲線という風になった。おかげで、普段歩くときでも道路際に植えられた樹木を鑑賞しながら安心して通行できるし、ハルも歩道沿いの縁石のにおいをかぎながら、安心して散歩できる歩道コースを楽しんでいる。

変わらないもの

改装のためか、しばらくの間覆っていたF学園のカトリック司教館の養生シートがいつの間にか外されていた。ここは、ハルの散歩コースで時々通りかかる道筋の一つにある。新しくなった司教館の外観を見てややホッとした。そこには、五十数年前の姿がそのままにあったからである。大学三年の時、絵の指導に当たられた画家のアトリエがF学園の近くにあったせいか、建物のデッサンスケッチを片手に時々おじゃました思い出がある。その時のスケッチ対象の一つがこの司教館なのだ。今から見ると、特段の特徴もない、白いペンキを塗った西洋風の横目板張りの建物なのだが、当時の自分には新鮮に見えたものである。多分、現在も住居用の施設として使われているのだろう。とすれば、五十年以上経過した今、内装は大幅にやりかえたのだろうか、などと想像しながらも、外装は元のままを維持しているのだ。当時からあるアプローチに植えられたクスの大木が五十年を経て一段と伸びたせいか、建物が少し背景に隠れて見えるが。

周りにある学園の他の施設はすっかり新しく変わってしまったが、この建物だけは当時の雰囲気を残している。宗教的な建物や公共的、記念的な建物が、保存運動ブームの中で少しずつ残っていく中で、この単なるプライベートな住居らしき建物が以前の風景のままに存在していることに意義を見出すのは自分だけであろうか。

友達

暑さの割にはまだ梅雨が明けきらないせいか、テレビの速報によれば今日の不快指数は八十五。陽が落ちかかったのでハルを連れて散歩に出た。待ってましたと言わんばかりに、前足をのばし、背伸びをして、「ウォーン」と一鳴きする。今日は定番コースを逆回り。暑いので、コースの帰りに近くのカフェに寄るつもりだ。今ぐらいの時間ならばテラスの座席も空いているだろう。一回りして、テントの下のベンチに腰を下ろした。夕方の風(なぎ)が汗ばむ頬を心地良くなでる。しばらく風の動きを楽しんでいると、親子連れのワンちゃんが通りかかった。栗毛色をしてトイプードルとは少し違って見える。リードを持った男の子が行きつ戻りつして我々のところにやってきた。子犬がしきりにハルに興味を示したのだ。ハルもじっとおとなしく子犬を眺めている。聞くと、名前はミント、六か月のミックス犬だという。互いにかぎ始めた。ハルは年長らしく、「よしよし」というようなそぶりだ。「新しい友達が出来て良かったね」。近くらしいので、また会えるかも。

次に通りかかったのは、幼馴染。コロンちゃん。六歳のトイプードルだ。マンションの工事が始まる前の敷地では、幼いころからリードを外して駆け回った仲間である。今は、たまに会えるとうれしいらしく、「キャンキャン」言ってじゃれてくる。ハルは相変わらず、「よしよし」か。さあ、そろそろ帰ろうかと立ち上がったら、今度は大きな犬が通りかかった。「ハル、会えてよかったね」と近づけたら、ワンワンと吠えられた。ひとなつこいハルはびっくり。初めての仲だったらしい。それにしても、車の種類と犬種を覚えきれない自分だなとつくづく思ったことである。

「思いつくままに」に、日付を入れ忘れていた。それが、「日々、住むまち」というものだろうか。

カラスとの対話

犬の五感は人間とはかなり違うらしい。中でも、嗅覚と聴覚は抜群のようだ。確かに、どこに行くにしろ鼻でクンクンと嗅いで好・嫌(善・悪)を判断するし、散歩していて「カタッ」と音がすると耳をぴくっと立ててすくむ。色の区別があまりつかないのは以前から聞いていたが、つい最近まで視覚(視力)も並はずれているのかと思っていた。ハルは散歩をしていて、時々急に立ち止まることがある。どうしたのかなと周りを見廻しても、何も変わった様子はない。でも、よく見渡すと通りのはるか向こうに(百メートル以上はあるだろう)、飼い犬らしきを連れた人の姿が見えるのだ。最初は立ち止まっているだけだったハルだが、彼ら(彼女ら)が近づいてくるにつれ通りにしゃがみ込んでしまった。前足を前に出し、顔を乗せて待機態勢である。こうなったらてこでも動かない。距離が十~十五メートルくらいになると、尻尾を振って立ち上がるか、「ワン」と一声吠えるのかどちらかである。もちろん、知り合いの犬なら喜んで嗅ぎ合うか、未知の犬ならば初めての挨拶(けん制?の声)かもしれない。

通りに全くそれらしきものが見えないのに立ち止まることもある。「ハル、どうしたの、何もいないよ」と言っても、動かない。目先を見ると、斜め上を見上げている。こちらも目を上げると、近くの電線に、黒いカラスの姿を見つけた。「クワッ、クワッ」と我々をからかっているようにも見える。ハルといっしょに「シー、シー」と言ってもなかなか飛び立たない。いまどきは、ちょっと投げて追い払う小石も近くに見当たらない。飛ぶものには勝てないねと、二人で歩き出した。

小さなチョコレート屋さん

浄水の自然公園に行く道筋に、小さなチョコレート屋さんがある。二階建ての建物の一部が平屋建てになっており、そこがちょうど通りの角に面して、丸いかわいい寄棟状の屋根をかぶせている。そして、店の前に植えられた樹木が大きく伸び、その陰に一見目立たなくおしゃれに建っている。ちょうど通りの交叉点の位置にあるので、ハルとの散歩の途中には必ず立ち止まって見えるのだ。通りに面して喫茶コーナーがある。ここのチョコレートのおいしい味は知っているが、店の中にまだ入ったことはない。とにかく、建ってから長く、小柄ながらも町のシンボル的な存在である。ふだん見慣れている家々の屋根が視線を見上げる位置にあるせいか、この店の屋根ラインは目線にありとても親しみ深く、ホッと一息つける風景である。都市が大きくなるにつれ、町中には大型化、高層化の建物が増えてきている。住宅なんかも、大きく、広くが一つのテーマになっているようだ。

そんな中で、この建物がトイハウスを暗示するかのように、こじんまりと通りの一隅に存在するのはありがたい。チョコレートという甘い香りのひびきも伴って。この草稿を時折のカフェテラスで一杯飲みながら書いていた。ハルもちょっと長くかかると思ったのか、テーブル横のレンガの床にしゃがみ込んでいる。偶然だが、店のスタッフさんが「チョコレートお好きですか」と、小さなケーキを差し入れてくれた。まるで、的を得たかのように。もちろん、人間にだが。ハルがぼくの手に鼻をくっつけてきた。