曲線の道

道路が曲がりくねって通っている道も面白いものだが、道路自体が曲線状になっているのは珍しい。私たちが普段目にする道路は歩道も含めてほとんどがまっすぐ(直線)の形状である。仮に、そういう歩道を酒に酔ったか、ふらふらと歩いている人を見かけたら、どちらかというと迷惑だ。でも、歩道自体がくねくねしていたら、本人も、他の通行人もあまり何も思わないのかもしれない。我が家の近くのマンションの敷地境界沿いにある歩道は酔っ払い用でもある。ちなみに、途中に横になれるベンチもある。と、いっても、もちろんその目的の歩道ではない。Sマンションの建設に際し、車の見通しがやや劣る上に、朝の脇道交通量の多い市道に面した敷地の一部を、外部の住民等も利用できる歩道にしていただいたのだ。この市道は小学校、幼稚園の児童も登下校時に使用するため、新しい歩道スペースは地域住民や子供たちにとって、安全で大いに役立っている。そして、その後にできた我が家隣のMマンションの際も、前例に倣って欲しいという要望をすんなり受け入れていただいた。

これで、大通りから小学校に至るまで、私的ながらも安全な歩道を確保したことになる。製作者の好意(趣味)からかも分からないが、民間の道路だから自由に出来た曲面形状の歩道は、従い片側は直線、対側は曲線という風になった。おかげで、普段歩くときでも道路際に植えられた樹木を鑑賞しながら安心して通行できるし、ハルも歩道沿いの縁石のにおいをかぎながら、安心して散歩できる歩道コースを楽しんでいる。

変わらないもの

改装のためか、しばらくの間覆っていたF学園のカトリック司教館の養生シートがいつの間にか外されていた。ここは、ハルの散歩コースで時々通りかかる道筋の一つにある。新しくなった司教館の外観を見てややホッとした。そこには、五十数年前の姿がそのままにあったからである。大学三年の時、絵の指導に当たられた画家のアトリエがF学園の近くにあったせいか、建物のデッサンスケッチを片手に時々おじゃました思い出がある。その時のスケッチ対象の一つがこの司教館なのだ。今から見ると、特段の特徴もない、白いペンキを塗った西洋風の横目板張りの建物なのだが、当時の自分には新鮮に見えたものである。多分、現在も住居用の施設として使われているのだろう。とすれば、五十年以上経過した今、内装は大幅にやりかえたのだろうか、などと想像しながらも、外装は元のままを維持しているのだ。当時からあるアプローチに植えられたクスの大木が五十年を経て一段と伸びたせいか、建物が少し背景に隠れて見えるが。

周りにある学園の他の施設はすっかり新しく変わってしまったが、この建物だけは当時の雰囲気を残している。宗教的な建物や公共的、記念的な建物が、保存運動ブームの中で少しずつ残っていく中で、この単なるプライベートな住居らしき建物が以前の風景のままに存在していることに意義を見出すのは自分だけであろうか。

友達

暑さの割にはまだ梅雨が明けきらないせいか、テレビの速報によれば今日の不快指数は八十五。陽が落ちかかったのでハルを連れて散歩に出た。待ってましたと言わんばかりに、前足をのばし、背伸びをして、「ウォーン」と一鳴きする。今日は定番コースを逆回り。暑いので、コースの帰りに近くのカフェに寄るつもりだ。今ぐらいの時間ならばテラスの座席も空いているだろう。一回りして、テントの下のベンチに腰を下ろした。夕方の風(なぎ)が汗ばむ頬を心地良くなでる。しばらく風の動きを楽しんでいると、親子連れのワンちゃんが通りかかった。栗毛色をしてトイプードルとは少し違って見える。リードを持った男の子が行きつ戻りつして我々のところにやってきた。子犬がしきりにハルに興味を示したのだ。ハルもじっとおとなしく子犬を眺めている。聞くと、名前はミント、六か月のミックス犬だという。互いにかぎ始めた。ハルは年長らしく、「よしよし」というようなそぶりだ。「新しい友達が出来て良かったね」。近くらしいので、また会えるかも。

次に通りかかったのは、幼馴染。コロンちゃん。六歳のトイプードルだ。マンションの工事が始まる前の敷地では、幼いころからリードを外して駆け回った仲間である。今は、たまに会えるとうれしいらしく、「キャンキャン」言ってじゃれてくる。ハルは相変わらず、「よしよし」か。さあ、そろそろ帰ろうかと立ち上がったら、今度は大きな犬が通りかかった。「ハル、会えてよかったね」と近づけたら、ワンワンと吠えられた。ひとなつこいハルはびっくり。初めての仲だったらしい。それにしても、車の種類と犬種を覚えきれない自分だなとつくづく思ったことである。

「思いつくままに」に、日付を入れ忘れていた。それが、「日々、住むまち」というものだろうか。

カラスとの対話

犬の五感は人間とはかなり違うらしい。中でも、嗅覚と聴覚は抜群のようだ。確かに、どこに行くにしろ鼻でクンクンと嗅いで好・嫌(善・悪)を判断するし、散歩していて「カタッ」と音がすると耳をぴくっと立ててすくむ。色の区別があまりつかないのは以前から聞いていたが、つい最近まで視覚(視力)も並はずれているのかと思っていた。ハルは散歩をしていて、時々急に立ち止まることがある。どうしたのかなと周りを見廻しても、何も変わった様子はない。でも、よく見渡すと通りのはるか向こうに(百メートル以上はあるだろう)、飼い犬らしきを連れた人の姿が見えるのだ。最初は立ち止まっているだけだったハルだが、彼ら(彼女ら)が近づいてくるにつれ通りにしゃがみ込んでしまった。前足を前に出し、顔を乗せて待機態勢である。こうなったらてこでも動かない。距離が十~十五メートルくらいになると、尻尾を振って立ち上がるか、「ワン」と一声吠えるのかどちらかである。もちろん、知り合いの犬なら喜んで嗅ぎ合うか、未知の犬ならば初めての挨拶(けん制?の声)かもしれない。

通りに全くそれらしきものが見えないのに立ち止まることもある。「ハル、どうしたの、何もいないよ」と言っても、動かない。目先を見ると、斜め上を見上げている。こちらも目を上げると、近くの電線に、黒いカラスの姿を見つけた。「クワッ、クワッ」と我々をからかっているようにも見える。ハルといっしょに「シー、シー」と言ってもなかなか飛び立たない。いまどきは、ちょっと投げて追い払う小石も近くに見当たらない。飛ぶものには勝てないねと、二人で歩き出した。

小さなチョコレート屋さん

浄水の自然公園に行く道筋に、小さなチョコレート屋さんがある。二階建ての建物の一部が平屋建てになっており、そこがちょうど通りの角に面して、丸いかわいい寄棟状の屋根をかぶせている。そして、店の前に植えられた樹木が大きく伸び、その陰に一見目立たなくおしゃれに建っている。ちょうど通りの交叉点の位置にあるので、ハルとの散歩の途中には必ず立ち止まって見えるのだ。通りに面して喫茶コーナーがある。ここのチョコレートのおいしい味は知っているが、店の中にまだ入ったことはない。とにかく、建ってから長く、小柄ながらも町のシンボル的な存在である。ふだん見慣れている家々の屋根が視線を見上げる位置にあるせいか、この店の屋根ラインは目線にありとても親しみ深く、ホッと一息つける風景である。都市が大きくなるにつれ、町中には大型化、高層化の建物が増えてきている。住宅なんかも、大きく、広くが一つのテーマになっているようだ。

そんな中で、この建物がトイハウスを暗示するかのように、こじんまりと通りの一隅に存在するのはありがたい。チョコレートという甘い香りのひびきも伴って。この草稿を時折のカフェテラスで一杯飲みながら書いていた。ハルもちょっと長くかかると思ったのか、テーブル横のレンガの床にしゃがみ込んでいる。偶然だが、店のスタッフさんが「チョコレートお好きですか」と、小さなケーキを差し入れてくれた。まるで、的を得たかのように。もちろん、人間にだが。ハルがぼくの手に鼻をくっつけてきた。

ハルの入院

今日はハルの入院日。といっても、歯のスケーリングのための半日入院だ。近くのかかりつけの動物病院へ連れて行った。人間の赤ちゃんの小児科にしろ、ワンちゃんの獣医にしろ、歩いていけるすぐ近くに病院があるのはありがたい。言葉ではうまく表現できないのを表情やしぐさで判断して、急いで診てもらう必要があるときもある。まあ、今回は歯石取りだけなので、事前に予約を取って出掛けたが。以前は、病院に行くとぶるぶる震えていたが、最近は慣れたせいか大丈夫である。獣医さんの助手がハルを抱きしめてくれる。それでも「フューン、フューン」とおねだりの声を出す。終わって早く帰りたいという意思表示だろうか。そういえば、手術のため今朝は絶食をさせると、きょとんとした顔をしていた。普段はハルに食事をあげた後、こちらも食事をするのだが、その時いつもそばでお相伴をしてほしがる。今朝は、こちらも付き合って絶食することにした。獣医さんにリードを手渡して、「バイバイ、頑張ってね」。

ハルがいない我が家は、何か落ち着かない。ヨメサンは置いて出かけるより落ち着くようだ。夕方、病院から連絡があった。麻酔から覚めてしばらくすると、ゲージをゴシゴシして、案の定帰りたがっているらしい。迎えに行くと、いそいそと尻尾を振りながらやってきた。歯はきれいにピカピカ。これからも油断をせずに歯磨きをしようね。今日は、ハルの一日だった。

デジャブ

まちを歩いていると、突然、あれ、どこかでいつかみた風景だな、と思う光景に出会うことがある。デジャブというのだろうか。車の頻繁に行きかう大通りと次の大通りを結ぶ小路(といっても車がすれ違える幅はある静かな路地)を歩いているときだった。ハルが音に敏感なので散歩は時々こういう道を選ぶ。このような道は秩序なく曲がりくねっていることが多い。その分、発見もある。ある角を曲がったとき、数十メートル先に喧噪の大通りが垣間見えるところに差し掛かった。というのは、先に見える大通りの手前で我々が歩く路地が鈍角に折れ曲がっているのだ。多分、計画的につくられた道路ではなく、自然発生的にいろんな社会関係の歴史の中で形作られた道路なのであろう。まっすぐ先に見えるものは、手前の木漏れ陽の合間の日差しの中で明るく輝く空と、あとは車の音だけである。

路地の両脇には、高層マンションが向かい合って静かに立っているが、人通りはない。右側のマンションの前には、道路沿いに植栽を植え、建物前面の背の高い常緑樹の列が路地に日陰を落し、それが先の大通りまで続いている。少し行くと、先に小さく、立ち話をしている数人の人達の姿が見えた。出た先に、何か良いことがあるのだろうかとも感じさせた。小路を出たところの小学校の塀に、横断幕状に校区の標語が張られていた。「住みたいまち、帰りたいまち、」。と。

大通りの静かなたたずまい

今日は、天気も良いので少し足を延ばしてみようかと一キロメートル先の都心の大通りまで出かけた。本当は、そのもう少し先にある市の大型緑地公園までハルと一緒に行こうと思って出かけたのだが、初夏の日差しは意外と強く、途中でカフェの屋外テラスで休もうと思っても、どこもカップルやベビーカーを連れた親子連れでいっぱいの週末の午後である。パリのように、もう少し屋外カフェが増えればいいのだが。緑地公園行きはあきらめて、以前から洒落た風景だなと思っていた大通りの商業マンションの近くに寄ってみた。通りの大きなケヤキの木の黒々とした幹の背後に建つその高層マンションの一、二階は濃い茶色の横張りのタイルで覆われ、所々に同色のリブ状のタイルが埋め込まれている。三階から上はベージュの普通のマンション壁なのだが、別に気にならない。なぜなら上階部分は、うまくケヤキの青々と覆い茂った葉間に隠れてしまっている。

大体言えることだが、建物は一、二階のファサードは歩行者にとってよく認知できる重要な部分だと思う。ゆっくり走るバスに乗って外を眺める客も同様な実感を持つであろう。乗用車のスピードは建物のディテールを見るには速すぎる。ブラウンの壁には、パンチング状に開けられたいくつかの格子状の窓ガラスが深みを帯び、どことなく静かな北欧での体験を感じさせる。建物前面に植えられた、数メートルの高さの木々が、午後の日差しを受けて美しく輝やき、車が忙しく行きかう通りに映る樹影の帯と対照的に印象を与えている。ふと脇に目をやると、ハルが「ハアハア」と言いながら、歩道の横に座り込んでいた。

違った眺め

ハルと散歩をしていると、よく道路わきにある一段上がった花壇の縁を歩きたがる。歩道の幅は三メートルと広いのだがそこは歩かずわざわざ道路のレベルより五十センチくらい上がっているだろうか、上部が平らな二十センチくらいの縁の部分を好んで歩くのだ。花壇の中は、つつじの植え込みになっており、春先にはピンクや白い花で満開だ。今は青葉が濃く茂っているそのそばをすたすた歩く。近くの小公園でも同じような行動をする。木馬や滑り台のある平地の部分はやり過ごし、周囲の土手際の間知石の擁壁(一メートルくらいの高さ)の上縁を歩きたがる。ハルだけかと思っていたら、これは、先日他の飼い犬の同様な風景も目にした。もう一つ、歩車道を分ける側溝横の十センチ幅の段差の付いたコンクリートの縁石の上を四本脚を外すことなく、平均台の上のようにひょいひょい見事に歩いていく。これは、ハルだけにできる見事な芸当のようである。

わが娘が小さいころ、よく道路沿いの縁石の上に乗りたがり、手をつないで歩かせていたのを思い出した。通りすがりの幼児を連れた親子のこの風景も時々みかけることもある。どうして上がりたがるのだろうな、と一度花壇の縁石の上に上ってみた。いや、日頃歩いている道路を上から見る眺め(目線)は気持ちいいな。乗用車の屋根も見えるし、歩道と車道がパースペクティブな眺めに視野も広がって感じる。犬も、子供たちも、同じように感じているのかなあ。それとも、親が知らず知らずのうちに教えているのか。

バイオネスト

一昔前までは各地に鎮守の森が存在していた。本来はあくまでも神社中心でそれを取り囲むようにしてある自然林の森を意味する。現代でも、田園地帯ではその名残を見かけることはあるが、都会の中では宗教的な意味は薄れ、その役割は緑地の保全、再生を目的とした都市の中の自然公園のようである。ハルとの散歩コースのオルターナティブにこの緑地をめぐるルートがある。我が家からすぐ近く(四百メートルくらい)ではあるが、道路が少し上りコースなので、週末につきあう程度なのだが。ここは、百年前の浄水場の跡地で、丘状になった地形に自然木と緑地が広がる自然公園となっている。この緑に近づくと、ハルのリードを引っ張る勢いが増してくる。うっそうと茂った木々のひときわ深い緑、落ち葉が積もり丘陵状にうねった土の通路、さえずる鳥の声。ハルの先祖は屋久島の屋久犬だと聞いているが、猟的本能がよみえるのか、きっと目を見開き、耳をぴっと立てて、せわしなく落ち葉の間のにおいをかいでまわる。

本来ならば、リードを付けずに自由に遊ばせてやりたいのだが、ここではリードを長めにしてハルの行先のコントロールを行っている。先日、枯れ枝で三メートルくらいのサークルを作り、その中に枯葉をいっぱい入れたところを見つけた。説明書きによると、時間をかけ、自然の力で土に帰していき、それが虫や土の中の生き物の住処になるバイオネストというらしい。ここでは、他の公園に見られるボール遊びの場所や、人工的な遊具はないが、子供たちが自然の悠久さ、自然との共存、共生の大切さを学び、大人たちには安らぎ、懐かしさと自然存続の重要さを感じさせる空間がある。ハルにも、そのうち屋久島に里帰りをさせてあげたいと思っているのだが。