マロニエの葉の陰に

朝夕の通例の散歩道の一角に大きなマロニエの木がどっしりと構える場所がある。早朝は近くの小学生、高校生そして保育園児の通学、通園でにぎわう交叉路の横に、わが国ではあまり見かけないコート状に数個の建物を配置した所だ。L型状に四階建てのタウンハウスを設け、片方にはロフト窓付三角屋根を持った店舗を配している。そして、それらに取り囲まれた八X十メートルくらいのタイルを張った中庭スペースの真ん中には、十数メートルの大きさのマロニエの木が植えられている。いつも青々と大きな手の形をした(中には三十センチくらいのもある)葉をつけたその端正な姿は我々のお気に入りだ。というのも中庭奥のタウンハウス一階には、ヨメサンの長年の知り合いのチーズの専門店が居を構え、ハルと散歩の帰りに立ち寄ると必ずご褒美にチーズをひとかけら与えてくれた。実は、この木がマロニエというのはつい最近まで知らなかった。植物図鑑で木の写真と照らし合わせてもなかなか見つからず、どうも正式名称はセイヨウトチノキというらしい。マロニエだと分かったときは、すぐパリの並木道に想像をめぐらせ、より一層愛着の持てるようになった。

秋も過ぎ、冬が近づいてきたので、マロニエの木も大きな紅葉の葉っぱを落し始め、骨格だけになってもやはり美しい幹や枝を見せ始めた。すると枝々の合間から、奥の階段室の外壁の上部に時計塔が現れたではないか。今まで気が付かなかった光景に、「素敵だね」とハルと一緒に、朝の散歩途中、紅葉した大きな五本指の形をした黄色の葉を拾いにマロニエの木の根元に近寄った。     

どんど焼き

初めて校区のどんど焼きに参加した。毎年古い神社のお札や破魔矢は新年のお参りの時に持参して、神社の庭で焼いてもらうのだが、しめ縄や正月の飾りは、外した後一年間家に置いておいてお参りの時に一緒に持っていくのが常だった。と、いうのもどんど焼きの日にちをいつも忘れてしまうのだ。今回は週末のハルとの朝の散歩時に、偶然校区の小学校の校庭でやぐらが組まれているのを見つけたのだった。長い青竹を四本、四角錐状にやぐらに組み、中に二段の焼き物台がつくられている。その上に、各自が持ってきた正月の飾りが乗せられていく。校区の若いお母さんたちがてきぱきと世話をしており、その周りで小学生らしい子供たちがはしゃぎ廻っていた。校区の委員さん、消防団の団員さん、それに他の住民も含めて百人くらいはいるであろうか。そういえば我が子たちが成長してから、校区の催しにはほとんど出たこともなく、なにか新鮮な気がする。今年は一年間、用済みのしめ縄の置き場所に困らないなという安堵感と、この機会に校区の催しに出た多少気恥ずかしい思いに駆られた。

そのうち、長い竿で火がつけられ、飾りたちがパッと燃え上がり、煙がもうもうと立ち込め始めた。この煙を浴びると一年健康に過ごせるとか、煙たさに皆逃げ回っていたが。そうこうしていると、、炎が空に向かってのぼりはじめ、青竹の焼ける「ドン」という大きな音が響き渡った。なるほど、そういうことか。 お世話していただいた皆さん、ありがとうございました

小さな新しい発見

日曜日の晴れた早朝、J緑地公園に新しい上り道を見つけた。表通りからアプローチするとき、通常の山への入り口の少し先に何やら階段が上方に向かっているのがあるのだ。今まではつい気が付かなかったのだが。「ハル、行ってみようか」と、手摺の付いたコンクリート製ではあるが、六十センチ足らずの幅の狭い階段を十数段上がると、そこはもう雑木林の中である。ハルが早速自分の来た印を済ませて周囲のにおいをかぎ始めた。そこから先は、表面がごつごつした岩と土の入り混じった一見階段らしき通り道のみ。もちろん手摺などなく、段差、段幅もまばらで、ところどころ木の根っこが伸びて岩に絡みついている。ハルはひょいひょい、自分は踏み、踏み登り切ったら、そこは開けた空き地手前の山道の最上部であった。「ああ、ここに出るんだ」。空き地を前にして、ハルはもう張り切っている。人影が見えなかったので、リードを外してやると、しばらくは我が周りをうろうろしていたが、そのうち喜んで駆けずり回り始めた。「やはりうれしいんだよね」。

帰りにはいつも上ってくるルートの数十段の階段を降りようとすると、そこにはジャージを着た十数名の近くのFC高校の生徒たちが階段の駆け上がりを練習していた。「おはようございます」。帽子をとってお互い挨拶。気持ちの良い朝の散歩であった。

朝陽の当たる道  

改めてハルを連れてのいつもの朝の定番散歩コースをながめてみよう。全長約一キロメートルのこのコースは四つのコーナーに分かれる。第一コーナーは我が家から出て、突き当りのツタの絡む素朴な教会と、付属の幼稚園の入り口を折れて、曲線状の歩道を大通りに向かう。通りの角には半年ほど前に犬のトリミングの店が出来たが、ハルは利用する機会がない。飼い主さんたちは人間の散髪よりかかると言っていたが、ハルは年に数回毛が生え変わるので、時々梳いてやればいつもすっきりしているのだ。ここから動物病院はすぐそこだ。大通りの第二コーナーに出ると、すぐいつもの朝の小公園に行き着く。この通りはK電力の文化施設があった頃から、市でも指折りの整備された歩道がある。Sマンション群に変わってから、歩道わきの樹木が増え、コーヒーショップにも立ち寄れる快適な幅広の都会の遊歩道を楽しめるようになった。ほどなく、角に交番の控える六つ角に至る。

ここを右に折れると、朝は子供たちの通学でにぎわう通りになる。瀟洒な戸建てから高齢者ケアマンションへと続くこの通りは東南方向に位置し、朝方の散歩時には朝陽のまぶしさの中に、太陽のありがたさを体感するひと時でもある。正月の今日は人影もなく静かな道に陽の光を浴びて、ハルも自分も非常に心地よい。歩道上に伸びた電柱やハルの脚の長々とした影を踏みつつ、第三コーナーから第四コーナーへと曲がる。最後のコースは、普段の朝は保育園、高校、小学校と元気な子供たちの姿が絶えないところだ。右手には完成間近いマンション群の間の遊歩道が、もうじき通り初めが出来るであろう姿を現わしている。コースの最後に差し掛かった時、ちょうど車で帰宅された隣家の主と出会った。子犬を抱いたその姿に、ハルが「ワン」と一声、まず挨拶。「あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく」と、お互い朝の会話を交わした。

気持

夕刻の散歩、いつもの六つ角に出てきた。歩道信号がパチパチし始めたので、ハルを連れて通りを渡ろうとすると、ハルがしきりにリードを引っ張る。ハルがまじまじとこちらを見ている。「どうしたの、そっちに行きたいの?」、「じゃ、今日はそちらにしようか」と返事をして次の青信号を待つことにした。角には交番もあり、幾人かの人達がスマホを片手に立っている。「この辺で帰りましょうか」、「そうですね」。後ろで声が聞こえたので振り返ると、杖をついた品の良い老婦人が介護士らしき若い男性とやはり信号が変わるのを待っていた。多分、近くのあの高齢者ケアマンションの住人なのだろうか。声の質からしてまだもう少し散歩をしたいのであろうか。彼女がハルの姿を眺めて「きれいですね」と、声をかけてくれた。「ありがとう」と笑顔で返事を返した。ハルはきちんと信号を守って待っている。やがて、信号が変わり、ハルと歩き出した。その後の二人の姿はわからない。高齢者がますますふえてきている。高齢者と世話をする人の役目もむずかしいなと思うひと時であった。

その後、ハルと久しぶりにハルをいつも可愛がってくれていたカフェにやってきた。「ハルちゃん、いらっしゃい、久しぶりね」と手を振って迎えてくれた。さっそく相手に背を向けお座りをして撫でてもらっている。スタッフの方が仕事に戻り、一杯飲んでいる自分の傍らで周囲の景色をながめていたハルだが、薄暗くなってくると「クーン、クーン」とすり寄ってきた。飽きて、もう帰ろうと言っているのか、こちらは言葉では表せない気持ちなのかも。

ハトの五線譜

近隣公園への散歩の道すがら、「ホウホウ」と野バトの声が聞こえる。昨夜、雨が降ったせいか、空気がすがすがしい。晴れた空には秋の少しくずれた入道雲の姿が見られる。いつもは子供たちでにぎやかな公園も日曜日の朝八時前では人影がなく、静けさに満ちている。リードを長めに延ばしてやると、さっそくハルは芝生と雑草の入り混じった土の周りを駆け巡り始めた。低い朝日に照らされた手前の樹影が長く地面に伸びた先には、大きなイチョウの木にびっしり詰まって色好き始めた葉々が大きな風に「ザアー」と音を立てながらゆっくり左右にそよいでいる。合唱のようでもある。公園のわきを走る電線には、野バトが十数羽とまっていた。よく見ると互いに間隔を適当に空け、いくつかの電線にまたいでとまり、まるで五線譜のようである。時々羽を広げて強弱を変えたり、次のハトと入れ替わって音楽を奏でるようである。ちなみに「ミー・ミ・ミミ・ソー・ミ・ミ・ミ」と。いつもは障害物にしか見えない電線も少し愛らしく思えた。

翌週の日曜日の朝も上天気だった。道すがらに聞くハトとカラスの声は気持ちが良いのか一段と音声が高い。少しカラスの方が多いか。公園の雑草の葉に朝露がのっかっているそばをハルが喜んでかぎまわっている。人の姿が見えない公園に、赤いコートを着てつえを片手に老女がやってきた。お互いに軽く挨拶を交わした後に、彼女はベンチに腰かけて、袋を取り出した。と、同時にハトが十数羽集まりだした。多分餌をあげているのだろう。しかし、今日はカラスが混じっている。老女はいそいそと立ち上がった。誰もいないベンチのそばでカラスの集団が餌をついばみはじめた。ハトは周囲から遠巻きにしているだけである。カラスはハトが近づくと羽を広げて追い払っている。鳥の数に圧倒されたせいか、ハルは地面に座り込んで様子をうかがったまま動かない。しばらくすると、カラスたちは満腹になったのか飛び立ったので、ハトがベンチの廻りに近づいてきた。まるで、アフリカのサファリの光景のミニ版を見るようだ。カラスはといえば、数羽電線にリズムのない符号のようにとまっていた。

逆のコース

日曜日の早朝は人通りも少ない。台風後ということもあってか、さわやかな気分でハルと一緒にいつものように散歩に出かけた。通りに出る前、ハルがリードをしきりに引っ張る。いつもとは逆の方向だ。「そうか、今日は逆回りをしてみようか」と、週末によくとる散歩コースを逆回りにすることにした。家々の配置は変わらないのだが、歩いて行く方向が違うと、いつもとは違う視界が展開する。通り沿いにある各建物の形が変わって感じられるのだ。中には、どちら側から眺めても、見ごたえのある建物も見られる。上り状の道路の先の緑地にたどり着いた。その後、あのバイオネストはどうなっているだろう。一時はプラスティックのごみ袋のようなものも交じって見られ危惧したが、今はバイオネストの輪が以前より一段と大きくなり、その横に新たにもう一つ輪がつくられていた。そして、大きな方のネストには、集められた枯れた枝葉の周辺に新たに緑濃いツタ類の植物が絡み、輪の中から小さな雑木の幹が数本、生え初めている。

少しづつではあるが、確実に土への帰依が進んでいる証拠だろう。掲示板によれば、ボランティア活動も頻繁ではないが定期的に行われているようである。検証しながら、少しづつ歩みをつづけることは、まちづくりにとっても重要なことだと思う。ふだんは、上るときにどうしようかとためらう旧浄水池の長い階段も、今日はハルに引かれてゆっくり降りていくことにした。

台風

朝方、外を見ると木々の葉が一斉に揺れ、ザーと大きな葉音をさせていた。曇り空の下、道路には枯葉が舞っている。台風が近づいているのだ。そのうち、雨が降り、風が強くなりそうなので、今の内にとハルを散歩に連れ出した。生暖かいが、大きな風がある意味心地よく頬をかすめる。今朝の散歩時には、子供たちの姿が見当たらない。小学校、高校共一斉休校したためだ。いや、今回からはオンライン授業のところもあるようだが。保育園だけは、少数来ているようだ。でも、昼ごろまでかな。傘を携えて、通勤の人達がせわしく行き過ぎてゆく。通り沿いの工事現場では、フェンスに張った布を作業の人達が黙々とまくり上げている。台風前のまちの緊張したひとこまである。そんな中、犬を連れた飼い主たちはいつも通りのスピードだ。犬たちは風があまり気にならないらしい。いや、ハルなんか強い風に向かって耳をなびかせ、立ち向かっていくようだ。一見、勇ましい犬のようだが、ハルにも弱点はある。

梅雨とか、夏の終わりに多いが、かみなりが光り音がし出すと尻尾を下ろして、いそいそと居間から階下のアトリエに逃げてくる。雷が光り、音が聞こえ出すまでの、あのなんとも言えない合い間は自分も苦手だが。そして「ヒュン、ヒュン」と甘えながら、書机の隣に敷いているハル用のラグの上にうずくまっている。時々、口を開け、深呼吸しながらかみなりが過ぎ去るのをひたすら待っているようにも見える。その点、台風時は別に平気らしく、むしろ外に散歩に行けないのが不満気のようだ。風が少し強まり始めた。「つぎは、台風が過ぎるまで、我慢しようね」

シテュエーション Ⅱ

日曜日の昼前、曇り空ではあったが気温も高くなかったので、ハルを連れて時々訪れる近くの神社にお参りしたのち帰りに、気になっていたKホテルのレストラン・カフェに立ち寄ってみた。ここはホテルの一階ではあるが通りから奥まって控えており、前面に遮光ガラスを使用しているせいか、外部からは薄暗い。樹木庭園の中に広げられた一張りのテントを抜けてカフェに近づくと、そこは屋根つきの屋外テラスになっていた。木製のデッキフロアーの上には丸いテーブルが数セット配置され、竹製のデッキチェアーが取り囲んでいる。コーヒーを注文して戻ってくると、ハルは気持ちが良いのか早速デッキに座り込んでいる。大通りに面しているのでかなりの車の騒音かとは思っていたが、前面の樹木を通り越して入ってくる音はそれほど気にはならない。通りの対岸までは五十メートル位あり、歩道からはぽつんと一つ見えた布製のテントも、デッキからは枝葉の多く細い幹の繊細な木々の間に見え隠れする点景の一つのようだ。

敷地をゆったりと使い、ニ―トな空間に仕上げている場所に加えて、カフェのスタッフさんのきちっとした対応もそれなりにシンプルでいかにもホテル附属の施設らしい。通りを行き違う車の音以外静かな雰囲気の中で、デッキの天井から吊るされた小さなシャンデリアライトが、風に揺られて小さく動くこの昼下がりも他とは違うそれなりのシテュエーションであった。「ハル、また一つ立ち寄れる場所が出来て良かったね」。

自然の遊び道具

いつもの小公園に、幼児の残した夢の世界を見つけた。砂利、砂、イチョウの葉、小枝、土でできた小さな飾りである。砂利は正確にはリサイクルの発泡骨材のあいだに、小さな栗石が混じっているが、子供にとっては、公園に見られる自然の素材とみていいだろう。砂利が二十センチくらいの円形に配置され、その中にイチョウの葉が、まだ青いものと茶色く枯れたものをきれいに分けて入れられ、砂と土が小さく盛られている。円形のそばには小枝が数本置かれていた。一瞬見た時にイギリスの世界遺産ストーン・ヘンジを頭に描いた。自分もまだ映像でしか見たことがないのだが、まさかそのミニチュアではないだろう。柔らかな日差しの下で遊んでいる子供の情景が目の前に浮かぶ。今の自分が目の前に見る小公園よりも、よりずっと大きな視界の公園の中で、近くに転がっていた(落ちていた)自然の材料で、子供の心にひらめいた形を作ったのであろう。維持しすぎず、目を届かせすぎず、放置しておく公園や親の姿も重要なのか。

マダガスカルで見た少し傾いた赤い土の家々や、ブータンで経験した木と石の屋根を乗せた褐色の土づくりの家など、そこに住む彼らが必要に迫られて作る住み家も、自然の遊び道具からの発想ではなかったのではと思う。そういえば、ハルにも以前は遊び道具をドッグストアーで買い与えていたが、今やほとんどそういうものに興味を示さず、毎日の散歩コースで種々の自然の変化を楽しんでいるようにも見える。