ついでに寄り道

我が家から散歩にひとたび出ると、ハルはいつも同じ方角を取ろうとする。学習のたまものである。途中で別のコースに行こうとすると、顔を上げて見守り、指示を仰ごうとする。そんないつもと違う道を歩いているとき、ふと「こっちに行ってみようか」とか、「あそこへ立ち寄ってみたい」と思うことがある。もちろんその時の思いつきでの行動でもあるのだが、もしその時それをしないと、その後なかなか機会は訪れない。まあ、わが町の中では「行きたいときはまた行ける」し、今は、ハルを連れての散歩が多いので、どこへでもというわけにはいかないのだけれど。以前、幼かった娘たちを連れて家族でポルトガルに行った時もそうだった。地中海に近い南国の風光明媚な風景と独特のエキゾチックな陶器に魅せられ、ポンコツのレンタカーを駆使してあちこちに寄り道をしたものだ。

何年か前、一人でメキシコに旅した時も、「今度来るときはもうピラミッドには登れないかもしれない」と、一生懸命岩を登った記憶がある。今は、渡航禁止でなかなか行けないが、また次に機会が訪れても、もうトップを仰ぎ見るだけであろう。おまけに、寄り道はいつもではないが思いがけないご褒美もある。素晴らしい景色とか、新しい発想とか、「立ち寄ってよかった」と思うことが多い。寄り道は、出来るときにやってみるのがコツであろう。楽しいよ。ハルもきっと。それに、人生も。

道草

ハルの散歩は道草が多い。朝の定番一キロメートルコースを終えるのに三十分くらいはかかる。したがって、急いでいる朝は、用足しだけで、散歩は無しだ。ごめん。コース沿いに高齢者のマンション、保育園、高校、小学校と傍らを廻るのだが、朝の通園、通学時間帯と重なり、子供たちに紛れて歩く。小学生は概してぞろぞろ、保育園児に至っては、よちよち歩くのをお母さんがじっと待っている。でも、ハルだけは道端に植えてあるハーブや自然の雑草のところで必ず立ち止まるのだ。「クンクン」。最近、ハルのリードを新しくした。以前のものは、手で持ち、手指の感覚だけで動きを察知していた。立ち止まりがあまり長いと引っ張って促していたのであるが。今度のものは、肩から胸に掛けることが出来、ハルが引っ張るとこちらも体全体で感じる。ひとりで動き出すまでじっと待つことが多くなった。

そういえば、若き時代ニューヨークで暮らしていた時、幼児をリードでつないで散歩している親子連れをよく見かけたものだ。幼児が思いのままあちこちに歩き出すので、一、二メートルの適当な距離感で、安全を保ちながら動きを自由にさせていたのであろう。若き日の自分も双子の幼児たちのために早速利用した思い出がある。その後、アメリカの流行をすぐ取り入れる日本では、これは余りはやらなかったようだが思い出深い体験であった。みちくさを終えて我が家へとたどり着くころには、ハルも満足したか、おとなしくなっていた。

街角のカフェ

五月の晴れの夕方は心地よい。雲の間から見え隠れする陽も少し傾き始め、ペンを握る指の影をノートに落としている。ハルとの散歩で時々立ち寄るカフェがある。一緒に中まで入れる店はまだ見かけない。ここは、大通り沿いの歩道の内側にレンガ張りの駐車場があって、その奥に屋根つきの屋外テラスを設けたカフェレストランが建っている。テラスには、スチール製の丸いテーブルと椅子が配置され、そこが我々の定席だ。道路の成り立ちの歴史か、日本の町ではこのような配置にゆとりのあるスペースを持った店はまだまだ少ないが、ここはパーキング・スペースを逆手に取りうまく利用しており、一番のお気に入りだ。おまけに、店のスタッフの方たちが「ハルちゃん、よく来たね」といつも可愛がってくれる。そのせいか、ここを通りかかると必ずリードを引っ張って入りたがるのだ。

一杯飲む間、(今しばらくはコーヒーで我慢)ハルはテーブルの下でじっと座って、周りの景色を眺めている。歩道沿いの樹木の間から見える道行く人や車の動く姿を見るのが好きなのだ。駐車場の加減で少し奥まっているので、車の騒音や通行人の話し声も小さく、バックグラウンド・ミュージック程度で、都会の生活の一コマを感じさせる。ひとしきりすると、ハルが上を向いて「フン、フン」とささやいた。景色に飽いたか、おなかがすいたか。   そろそろ帰ろうか。尻尾を振って「じゃ、また来るね」。

近隣公園

今の時間、近くの公園にこれだけ多くの子供たちがいるとは思わなかった。ウィークデーの夕暮れ前のひととき、ハルとの今日の散歩は我が家近くの住宅地域で囲まれた公園。いつもの朝とはルートが違いハルも張り切っている。公園に近づくと、学校放課後の児童たちのはしゃぎ声でいっぱいである。ある子たちはドッジ・ボールのぶっつけあいに興じたり、ブランコ乗りで空中に舞う小学生、お母さんと砂いじりをする幼児、ベンチは子供たちの水筒やリュックで占領され、花壇の縁に座って見守る年寄りの姿等、様々である。少しずつ沈みかけた太陽が、次第に夕方近くの時間になるのを示している。私の少年時代には、家の近くの原っぱで友達とチャンバラごっこをして、母親が「夕御飯ですよ」と声をかけてくれるまで遊んでいたものだ。

今のこの公園には時計台がある。そして、余り作りすぎていない。多分、きちっと作った後の管理が行き届いていないのかもしれない。粗い土の感触とにおい、意図的ではなく表面に少しでこぼこがある。それが、植栽際のところどころに生える雑草群と合い間って原っぱの感覚に近い。校庭の遊びとは違い、自由に羽を伸ばせるのが良いのであろう。ハルもこの公園が大好きである。適度に伸びた草むらで、必ず用を足す。もちろん、エティケット袋持参である。子供たちが寄ってきた。「触っていいですか」。ハルもびくびく顔を差し出す。「ゆっくり撫でてあげてね」。

散歩道

ハルとの散歩は朝・夕の二回である。同じような時間帯にする人なのであろう。知り合いの犬連れの飼い主に出会うこともある。そういう時、ハルはしっぽをしきりに振って喜ぶ。友達に会えたからだ。このところ、我が家の近辺のタワー・マンション群の周囲を廻る約一キロメートルの散歩コースが日課となっている。このルートは、歩行者通路のところどころにアルコーブがあり、人や犬同士が立ち止まって挨拶しあっていても、忙しく行きかう人たちの妨げにもならないある種快適な道路だ。一帯は、以前K電力の旧い体育・文化施設があって、催し物がない時にはその広い駐車場がハル達の遊び場であった。その囲まれた場所には、適度に植栽の植え込みや樹木もあり、当時愛犬家たちが自然に集まり、リードを離して犬たちを駆け回らせた想い出がある。若き日のハルも、友達と追いかけっこをして、駆け回ったものである。

その後この敷地は、東北震災による原発事故問題の間接的な影響もあり、K電力が土地を手放して、S不動産のマンション用地に変わり、現在も工事が進んでいる。敷地が広いので、緑陰を多く取り入れた環境の良い住居地域に変貌しつつあるのだが、遊び場もなくなってしまった。なにせ、まだ囲いのある工事中でもあり、まして今はコロナ感染症のため必要以上の出歩きの自粛中でもあるので、あまり犬友達と会うことも少なくなった。それゆえ、たまにこうやって友達と出会うと、クンクンとにおいをかぎあって楽しそうだ。(そういえば、パリではロックダウン中には散歩は家の周りの一㎞以内の犬の散歩に限るとか、日本での制限と比較して興味深い)。町が日々新しく変わっているせいか、新しい地域の新参者にも時々出会う。そういう時は、気忙しくリードを引っ張り、ワンワン吠える。「これこれ、仲良くしなさい」と諭すのも親の役目ではある。