ハルの入れるレストラン

ハルが入れてもらえるレストランは今のところ一つである。ヨメサンが週一~二回、ハルの散歩がてらに通う洋風の居酒屋がそれだ。最近は、外部にテラスのある飲食店などで犬連れでもOKのところが出てきて僕の定例の散歩コースにも織り込まれているのだが、店の内部に堂々と入れるのはここだけである。これもヨメサンの交渉術であろうか、店の方のご厚意であろうか、うれしいことだ。僕はこの店には一緒にたまにしか寄らないのであるが。ハルは店の中でお客の皆さんが会話しているそばで一~二時間の間、おとなしく床やベンチ椅子にもたれてしゃがみこんでいる。確かに、年期の入ったコンクリートの床の上は夏冬ともに過ごしやすいようだ。店の常連客もハルをかわいがってくれるので、居場所を見つけているのかもしれない。店の主人が他の客に「犬により、OKを出しているのですよ」というのもうなずける。

僕と一緒にテラスレストランに寄った時などは、二十~三十分も経てばすり寄ってきて「帰ろう」などと言い出すのだが。外の風景を観察するのを好いているハルではあるが、ここではじっとベンチ椅子に反対向きに足をかけて、外の通りを眺めて過ごしている。ヨメサンによると、ハルは明るい方を眺めるのが好きとのこと。確かに、ハルの視界の先の車や人の行きかう居酒屋の前の通りは、午後の陽射しが対向の建物に反射して明るく輝いている。そういえば、日頃の我が家の中でのハルも朝は東南向きの食堂、午後からは北西向きの居間やバルコニーに好んでいるようだ。これも自然の太陽の恩恵であろうか。

ハルの大腸炎

深夜、ハルが突然口から食べ物を吐き下痢を始めた。犬は胃の調整のためたまに吐くことはあるのは承知をしていたが、今回は家族皆びっくりしてしまった。明け方まで様子を見ても何度か下痢を繰り返すので、かかりつけの動物病院へ連れていくことにした。生まれて以来八年間、病気らしいことはしたことがないハルに何が起こったか?心配でたまらなかった。診察の後採血、血液検査の結果どうも大腸炎か胃炎かなと診断された。食べ物、細菌やストレスが原因にもなるらしい。薬をもらい、消化の良い缶フードで具合を見ることになった。その日は、散歩は喜んでするのだが相変わらず便がしぶり、他犬に会っても何となく気分が憂鬱そうである。缶フードはにおいをかいでそっぽを向かれた。あくる日は注射と点滴、それに万が一にと膵炎検査もしてもらい(これは大丈夫だった)食べさせながら直していくのが良いということ。これならばと別の缶フードそしてアドバイスを受けた鶏のささみもダメだ。

本来なんでも口にする食いしん坊のハルはどこに行ったのか。おなかをすかして「フン、フン」言ってくるので診断にはなかったドライシリアルを一つまみあげるとあっという間に食べてしまった。三日目、獣医師へその報告をすると「じゃその方法にしましょう」ということで、低分子プロテインなるドライシリアルを定量づつ与えることとなった。その日からハルの回復が始まった。便をはじめ体調も徐々によくなってきた。先生、ありがとう。どうも今まで太りを気にして健康にはこれがいいだろうといろいろ与えすぎていたのかも。これから少なくともひと月ぐらいは定量のドライシリアルだけである。我々が食事をしていると必ず寄ってきてじっと見つめる。「でも、しばらくはお互いに我慢しようね。」  

犬仲間

ハルも九才になった。人間でいえば中年に差し掛かる頃だろうか。最近は散歩で出会うワンちゃん仲間でも年上の方になってきたようだ。そういえば、我が家の廻りでも高層マンションが増え、人口密度が上がってきているせいか、犬連れの人たちも結構増えてきたようである。この頃は、幼馴染の犬に出会っても以前ほどはしゃがない。「若い時はあんなにじゃれあっていたのにねえー」とは、飼い主同士の会話だ。やはり低年齢ほど(二~三才位)遊ぼうというしぐさはかわいい。この辺りは小型犬(トイ・プードル、シュナウザーやマメシバなど)を飼っている人が多いため、中型犬のハルに初めて出会ったとき、大きな犬に出会ったように思うのか、ハルが静かに相手の犬の鼻をかごうと近づくのを見て、「おとなしいですね」と、言ってくれる。そんな時返事は、相手により「ハイ」か「相手の犬によるのですよ」など、さまざまである。

いずれにしても、ハルは概して控えめの方ではあるが、これが大型犬を目にすると、俄然目つきを変えて突進していこうとする。「ハル、やめとき、かなわないよ」となだめ、叱り、諭すのにひと苦労である。年齢のいった相手の大型犬の方は、「また、小さいのに元気がいいな」くらいな顔をして、悠然と通り過ぎてゆく。犬の性質は、飼い主の性格にもよるのかもしれない。どんな犬にも愛想の良い飼い主もいれば、我が犬だけの飼い主も見かけられる。まあ、僕も犬を飼ってから、会話をしない相手の事も少しはわかってきたのかも知れないが。

お客さん

「ピン・ポーン」とインタフォーンが鳴ると、日頃はおとなしいハルが「ワンワン」と吠え出す。それが宅急便の配達の人であろうと、お客さんであろうと、業者さんであろうとだ。わが家人が玄関戸を開けてもたまにある。声の質は違うようだが。普段くつろいでいる居間から階段越しに、階下の玄関をのぞき込み、来訪者がまず誰であるかを確認するのだ。そして、それが覚えのあるヨメサンの友人などであれば、タッタッと降りて行って歓迎の尻尾を振るし、初めてや身知らぬ人の時は「ハル!静かにしなさい」というまで吠え続けるのだ。猟犬の血筋が入っているからかもしれない。僕に用事ある業者さんの場合、すぐに玄関横のアトリエに通し、ドアを閉めてしまうと静かになるのだが家に用事があって上階に人の場合は、しばらく吠え続ける。ハルにとって、縄張りの侵入者が危険性があるかどうか確かめているようだ。

最近から、僕にお客さんとか業者さんとかが来たとき、ハルにリードを付け居間の大テーブルで打ち合わせ等をすることにした。そんな時は、僕のそばでおとなしくしている。建築家コルビュジェの愛犬ミケランジェロのようでもある。ヨメサンの友達とかが来たときは、これは長居するなと思うのか、最初は向って吠えているのだが、そのうち知らん顔をしてバルコニーに消えたりしている。でも、大勢の客が来たときは大変だ。ワイワイ、ガヤガヤの中で自分がいるぞと主張してやまない。吠え方もいろいろだ。時には、歓迎の風であったり、諭すようであったり、対峙のようでもある。一つおねだりの時の声だけはすぐわかる。「フウーン、フウーン」とまさに甘える声なのである。

おねだり上手

ハルはおねだり上手である。わが家族の中で一番ハルの世話を焼き、また一番甘やかしているのは僕だとちゃんとわかっているようだ。それはまず早朝から始まる。概して犬は習慣づけると慣れやすいようではあるが、ハルは時間に極めてパンクチュアルである。朝の散歩の役目でもある僕が少し起きるのが遅くなっていると「ワン、ワン」と上階の居間から吠えて、サインをよこす。朝の散歩の時間だよという合図だ。ハルをひとりで寝かせるため、居間から下階へ降りる階段に開閉式の柵をしているが(たまに、嫌がらせのためか、違った場所でおしっこをするので)時々柵が開いていたりすると、わが部屋に降りてきて尻尾を振り振り鼻を押し付けて、朝の挨拶をしてくる。普段は柵の前で寝そべって、間から鼻を突き出し「まだかい?」というしぐさをしている。上がっていくと、背伸びをして「ウォ・オーン」と出迎えてくれる。「おはよう」とあいさつをして頭と頬を撫でてやるのが日課だ。

散歩から帰ると、今度は朝ごはんだ。散歩の後少しでも他の用事をしていると、階段のそばまで来て催促する。僕が朝ごはん担当だと思っているらしい。ハルは自分の朝食を終えても、そのあと僕が用意する僕用のパン焼きの音をじっと聞いていて、チンと言って焼きあがると、大好物のパンのお相伴にあずかろうときちんと両足をそろえて座って待っている。そして、僕が食べ始めて知らん顔をしていると、少しずつにじり寄ってくるのだ。無事朝ごはん及びお相伴にありついた後はおもむろに歩き出し、安心したのか居間やバルコニーの適所で目を細めて横になるのが日々である。

ハルの家(うち)

ハルのうちは七十センチ×一メートル、三角屋根の木造である。ハルが一才になる前、ホームセンターで仕入れてきた。生後二か月ちょっとで我が家に来たときは、トイレの躾けもまだできていなかったので、最初は赤ちゃん用のクリッブで飼っていたが、そのうち慣れてきたので自分の寝床を持たせることにしたのだ。小屋をバルコニーに出そうという話も持ち上がったが、家族会議の結果、雨は当たるし、冬は寒いし、かわいそうだということで(我が家は娘の意見が一番通る)部屋の中で飼うことになった。というわけで、それ以来三十帖近くある、天井の高い居間の中心にドカンと座っている。やがて、しつけも出来たので小屋の格子の扉も取り外すことになった。ヨメサンによると、犬の散歩でよく顔を合わせる他犬の飼主さんは(小型犬が多いが)同じベッドで寝ているらしい。いつの頃からか我々がソファでくつろいでいると、そのうちソファがハルの寝床になってきたようで、小屋は寝床としてはあまり利用されなくなった。

よく居間の隣の食堂に我々と一緒にいるハルなのだが、たまにヨメサンと僕がトーンを挙げて言い合いを始めると、こそこそと尻尾を下げて自分の小屋に入り込み、はいつくばって事が収まるまでじっとこちらを見ている。自分のうちが一番安全だと思っているのかもしれない。そんな時、「ハルちゃん、大丈夫だよ」というと、やおら首をもたげ、尻尾を振りながら近づいてくるのだ。それでも、居間と食堂の境にある引き戸の敷居の向こう側で両足をきちっとそろえて座り、情勢を正確に見極めようとしているようである。

バルコニー

気候が良くなってくると、我が家のバルコニーが活動を始める。バルコニーは、間口十メートル、奥行三メートルで居間の大きなガラスの引き戸に直結した空間だ。以前は青空の真下にすのこを敷いた縁側にしていたのだが、この十年で我が家の周囲も環境が変わってしまった。ハルが我が家に来た八年頃前に道路を挟んだ隣地に高層マンションの計画が持ち上がった。ちょうど、雨降り時のハルの遊び場も欲しい時期だったので、バルコニーに半透明のプラスティックの屋根をかけ、手すりの上部はロールブラインド式のプラスティックのカーテンで覆った。これにより、雨よけと同時にマンションとの間のプライバシー視線を遮ることができるようになった。今や、マンション側の庭に植えられた高く濃い樹木にも囲まれた快適な屋外空間となったわけである。ハルとの早朝の散歩を終えた春先から初夏の一日はここでの朝食から始まる。

朝方の心地よい風と朝日に映える鮮やかな緑に浴して、休暇のホテルのテラスで飲むコーヒー感覚にも似ている。ハルは早速スパンドレルの穴の開いた手すり(道路からは見えにくく、内側からは雪見障子のように良く見える)の間から、風にそよぐ緑の葉と、通り過ぎる通行人の姿を見ながら、道路の風景を楽しんでいる。そばに置いた素焼きの鉢に植えたいくつかのハーブの葉も今のところ少しずつだが順調に育っているように見える。朝食を終え、新聞に目を通してから、ちょっと席を立って戻ってみると、いつの間にかハルが僕の居場所にすわって、きょとんと眺めていた。

二つの小公園

最近、ハルと共に散歩する我が家近くの二つの小公園が互いに良く似ていることに気づいた。一つはいつもの散歩コースの始まり、通りのバス停前のJ公園、もう一つは通りを坂の方に上ったJ緑地の下の公園である。ともに広さは二百坪程度、公園としては小さい規模だ。通りから公園に向かって間口三十メートル、奥行三十メートル位の半円形に近い平らなスペースがあり、その奥に土手状の緑地が控えている。いずれも、車の通る通りから歩道を挟んで数段ステップを上がった場所に公園が位置している。もちろん周囲の環境が違うので、それぞれ異なった表情を持っている。J公園は土の広場の上に遊具が置かれ、背後のマンションに囲まれて手入れの行き届いた桜やイチョウの木など、四季折々に華やかな色合いを見せている。花壇のベンチには、年中かわいい小花が咲き誇り、朝は通勤、通学の人達、昼間は幼児を連れたお母さんたちでにぎわう、都会的な雰囲気である。

一方、J緑地下の公園(名前はない)は舗石で覆われ周囲に配置されたベンチには朝体操やジョッギング姿の人達が数人腰かけている以外あまり人影は見たことがない。F学園の小学生の可愛い通学風景を横目に見ながら、ハルは背後の雑木林から落ちてくる枯葉の芝生の上をカサカサ音を立ててにおいをかいで回るのが大好きだ。ハルは毎日行きたがるが、こちらは自分にとっては、なんとなく休日用の公園だ。この二つの公園は、他の大きな公園と違って、不思議と落ち着く。面積が手ごろなのか、周りが自然の土手で囲われているからなのか理由は定かではないが、ハルと一緒にいつも散策を楽しんでいる。    

おまけのサイン

我が家の裏手は小学校なので、校門前の道路は朝の通学時間帯(七時~九時)は車の通行禁止である。「自転車も押し歩きしてください」というサインが出ている。休日の商店街の道路と違って、さほど人(子供)の通行量が多いとは思えないが、まあ、いいだろう。町のいろんなところで目にする風景の一つである。そのサインの横に、もう一つ立札が建てられている。「迂回する手前の脇道は入口が細いが、先で太くなっていますよ」というものである。多分、進入しようとする自動車のためのものだろうが、果たしてその意味は? 。入り口が狭くて通りにくいのに、先で太くなっている表示が意図するものは?実は、これは、我が家の前を通るこの脇道にある「太い巾の道は先で細くなっていますよ」の逆表示なのだ。ここまではまあ、許せる。最近、家の手前の道路上にあるサインが書かれた。「この先、道路が狭いため車の通り抜けが出来ません」と。従来からあるピクトグラムに目が行き届かない運転者のために、描いたものであろう。

このサインが、歩いている人は確実に読むことは出来るが、動いている車の人には認知できないほどの小さいものなのだ。まして、何が書いてあるか読み取ることなど不可能である。相変わらず、先細りの近くまで行って、バックしてくる車が見られるのである。多分、現場も見ず、机上で考えたサイン案を実行した結果の実例であろうか。町をきれいにしていくためにも、かような不要なものの撤去から取り掛かったら、いかがだろうか。

多様な花々

大きな植木鉢に植えられたミモザの木に黄色い花が乱れ咲いている。そして、その隣には縦横に組まれた木製のフレームから、四段、十列、合計四十個にもなる水を入れたフラスコ型のガラスの容器が吊られ、その中から各々違った花びらが顔を出している。散歩の通り沿いのこの店は、内側の明かりも余り漏れては来ず、入り口横のガラスのファサードが全てこの装飾で覆われている。「何の店だろうね」とハルといつもつぶやきながら、不思議に思っていた。店の名前や、独特の飾りつけからしてひょっとしたら南欧か南米か、外国の人なのかな、普段このあたりでは見られない多様な文化の一端を感じるように思えたものだ。ある日の夕刻、散歩に出ていつものようにそばを通りかかると、知り合いのワンちゃん仲間の女性が、入り口が開いた店の前で店主さんと談笑しているところに差し掛かった。「あっ、ここは美容室なんですね」と一瞬、声を出してしまった。きれいに飾られた花々の前で、女性が巧みに話をするのを、そばで相づちを打ちながら聞いていると、全て自分でアイデアのもとに飾りつけをしているようだ。

きちんとした考えを持たれた、なかなか個性的な美容師さんのようである。さまざまな花々と共に、多様な文化の、多様な職業の人を見たような気がしたものである。