お客さん

「ピン・ポーン」とインタフォーンが鳴ると、日頃はおとなしいハルが「ワンワン」と吠え出す。それが宅急便の配達の人であろうと、お客さんであろうと、業者さんであろうとだ。わが家人が玄関戸を開けてもたまにある。声の質は違うようだが。普段くつろいでいる居間から階段越しに、階下の玄関をのぞき込み、来訪者がまず誰であるかを確認するのだ。そして、それが覚えのあるヨメサンの友人などであれば、タッタッと降りて行って歓迎の尻尾を振るし、初めてや身知らぬ人の時は「ハル!静かにしなさい」というまで吠え続けるのだ。猟犬の血筋が入っているからかもしれない。僕に用事ある業者さんの場合、すぐに玄関横のアトリエに通し、ドアを閉めてしまうと静かになるのだが家に用事があって上階に人の場合は、しばらく吠え続ける。ハルにとって、縄張りの侵入者が危険性があるかどうか確かめているようだ。

最近から、僕にお客さんとか業者さんとかが来たとき、ハルにリードを付け居間の大テーブルで打ち合わせ等をすることにした。そんな時は、僕のそばでおとなしくしている。建築家コルビュジェの愛犬ミケランジェロのようでもある。ヨメサンの友達とかが来たときは、これは長居するなと思うのか、最初は向って吠えているのだが、そのうち知らん顔をしてバルコニーに消えたりしている。でも、大勢の客が来たときは大変だ。ワイワイ、ガヤガヤの中で自分がいるぞと主張してやまない。吠え方もいろいろだ。時には、歓迎の風であったり、諭すようであったり、対峙のようでもある。一つおねだりの時の声だけはすぐわかる。「フウーン、フウーン」とまさに甘える声なのである。

おねだり上手

ハルはおねだり上手である。わが家族の中で一番ハルの世話を焼き、また一番甘やかしているのは僕だとちゃんとわかっているようだ。それはまず早朝から始まる。概して犬は習慣づけると慣れやすいようではあるが、ハルは時間に極めてパンクチュアルである。朝の散歩の役目でもある僕が少し起きるのが遅くなっていると「ワン、ワン」と上階の居間から吠えて、サインをよこす。朝の散歩の時間だよという合図だ。ハルをひとりで寝かせるため、居間から下階へ降りる階段に開閉式の柵をしているが(たまに、嫌がらせのためか、違った場所でおしっこをするので)時々柵が開いていたりすると、わが部屋に降りてきて尻尾を振り振り鼻を押し付けて、朝の挨拶をしてくる。普段は柵の前で寝そべって、間から鼻を突き出し「まだかい?」というしぐさをしている。上がっていくと、背伸びをして「ウォ・オーン」と出迎えてくれる。「おはよう」とあいさつをして頭と頬を撫でてやるのが日課だ。

散歩から帰ると、今度は朝ごはんだ。散歩の後少しでも他の用事をしていると、階段のそばまで来て催促する。僕が朝ごはん担当だと思っているらしい。ハルは自分の朝食を終えても、そのあと僕が用意する僕用のパン焼きの音をじっと聞いていて、チンと言って焼きあがると、大好物のパンのお相伴にあずかろうときちんと両足をそろえて座って待っている。そして、僕が食べ始めて知らん顔をしていると、少しずつにじり寄ってくるのだ。無事朝ごはん及びお相伴にありついた後はおもむろに歩き出し、安心したのか居間やバルコニーの適所で目を細めて横になるのが日々である。

ハルの家(うち)

ハルのうちは七十センチ×一メートル、三角屋根の木造である。ハルが一才になる前、ホームセンターで仕入れてきた。生後二か月ちょっとで我が家に来たときは、トイレの躾けもまだできていなかったので、最初は赤ちゃん用のクリッブで飼っていたが、そのうち慣れてきたので自分の寝床を持たせることにしたのだ。小屋をバルコニーに出そうという話も持ち上がったが、家族会議の結果、雨は当たるし、冬は寒いし、かわいそうだということで(我が家は娘の意見が一番通る)部屋の中で飼うことになった。というわけで、それ以来三十帖近くある、天井の高い居間の中心にドカンと座っている。やがて、しつけも出来たので小屋の格子の扉も取り外すことになった。ヨメサンによると、犬の散歩でよく顔を合わせる他犬の飼主さんは(小型犬が多いが)同じベッドで寝ているらしい。いつの頃からか我々がソファでくつろいでいると、そのうちソファがハルの寝床になってきたようで、小屋は寝床としてはあまり利用されなくなった。

よく居間の隣の食堂に我々と一緒にいるハルなのだが、たまにヨメサンと僕がトーンを挙げて言い合いを始めると、こそこそと尻尾を下げて自分の小屋に入り込み、はいつくばって事が収まるまでじっとこちらを見ている。自分のうちが一番安全だと思っているのかもしれない。そんな時、「ハルちゃん、大丈夫だよ」というと、やおら首をもたげ、尻尾を振りながら近づいてくるのだ。それでも、居間と食堂の境にある引き戸の敷居の向こう側で両足をきちっとそろえて座り、情勢を正確に見極めようとしているようである。

バルコニー

気候が良くなってくると、我が家のバルコニーが活動を始める。バルコニーは、間口十メートル、奥行三メートルで居間の大きなガラスの引き戸に直結した空間だ。以前は青空の真下にすのこを敷いた縁側にしていたのだが、この十年で我が家の周囲も環境が変わってしまった。ハルが我が家に来た八年頃前に道路を挟んだ隣地に高層マンションの計画が持ち上がった。ちょうど、雨降り時のハルの遊び場も欲しい時期だったので、バルコニーに半透明のプラスティックの屋根をかけ、手すりの上部はロールブラインド式のプラスティックのカーテンで覆った。これにより、雨よけと同時にマンションとの間のプライバシー視線を遮ることができるようになった。今や、マンション側の庭に植えられた高く濃い樹木にも囲まれた快適な屋外空間となったわけである。ハルとの早朝の散歩を終えた春先から初夏の一日はここでの朝食から始まる。

朝方の心地よい風と朝日に映える鮮やかな緑に浴して、休暇のホテルのテラスで飲むコーヒー感覚にも似ている。ハルは早速スパンドレルの穴の開いた手すり(道路からは見えにくく、内側からは雪見障子のように良く見える)の間から、風にそよぐ緑の葉と、通り過ぎる通行人の姿を見ながら、道路の風景を楽しんでいる。そばに置いた素焼きの鉢に植えたいくつかのハーブの葉も今のところ少しずつだが順調に育っているように見える。朝食を終え、新聞に目を通してから、ちょっと席を立って戻ってみると、いつの間にかハルが僕の居場所にすわって、きょとんと眺めていた。

二つの小公園

最近、ハルと共に散歩する我が家近くの二つの小公園が互いに良く似ていることに気づいた。一つはいつもの散歩コースの始まり、通りのバス停前のJ公園、もう一つは通りを坂の方に上ったJ緑地の下の公園である。ともに広さは二百坪程度、公園としては小さい規模だ。通りから公園に向かって間口三十メートル、奥行三十メートル位の半円形に近い平らなスペースがあり、その奥に土手状の緑地が控えている。いずれも、車の通る通りから歩道を挟んで数段ステップを上がった場所に公園が位置している。もちろん周囲の環境が違うので、それぞれ異なった表情を持っている。J公園は土の広場の上に遊具が置かれ、背後のマンションに囲まれて手入れの行き届いた桜やイチョウの木など、四季折々に華やかな色合いを見せている。花壇のベンチには、年中かわいい小花が咲き誇り、朝は通勤、通学の人達、昼間は幼児を連れたお母さんたちでにぎわう、都会的な雰囲気である。

一方、J緑地下の公園(名前はない)は舗石で覆われ周囲に配置されたベンチには朝体操やジョッギング姿の人達が数人腰かけている以外あまり人影は見たことがない。F学園の小学生の可愛い通学風景を横目に見ながら、ハルは背後の雑木林から落ちてくる枯葉の芝生の上をカサカサ音を立ててにおいをかいで回るのが大好きだ。ハルは毎日行きたがるが、こちらは自分にとっては、なんとなく休日用の公園だ。この二つの公園は、他の大きな公園と違って、不思議と落ち着く。面積が手ごろなのか、周りが自然の土手で囲われているからなのか理由は定かではないが、ハルと一緒にいつも散策を楽しんでいる。    

おまけのサイン

我が家の裏手は小学校なので、校門前の道路は朝の通学時間帯(七時~九時)は車の通行禁止である。「自転車も押し歩きしてください」というサインが出ている。休日の商店街の道路と違って、さほど人(子供)の通行量が多いとは思えないが、まあ、いいだろう。町のいろんなところで目にする風景の一つである。そのサインの横に、もう一つ立札が建てられている。「迂回する手前の脇道は入口が細いが、先で太くなっていますよ」というものである。多分、進入しようとする自動車のためのものだろうが、果たしてその意味は? 。入り口が狭くて通りにくいのに、先で太くなっている表示が意図するものは?実は、これは、我が家の前を通るこの脇道にある「太い巾の道は先で細くなっていますよ」の逆表示なのだ。ここまではまあ、許せる。最近、家の手前の道路上にあるサインが書かれた。「この先、道路が狭いため車の通り抜けが出来ません」と。従来からあるピクトグラムに目が行き届かない運転者のために、描いたものであろう。

このサインが、歩いている人は確実に読むことは出来るが、動いている車の人には認知できないほどの小さいものなのだ。まして、何が書いてあるか読み取ることなど不可能である。相変わらず、先細りの近くまで行って、バックしてくる車が見られるのである。多分、現場も見ず、机上で考えたサイン案を実行した結果の実例であろうか。町をきれいにしていくためにも、かような不要なものの撤去から取り掛かったら、いかがだろうか。

多様な花々

大きな植木鉢に植えられたミモザの木に黄色い花が乱れ咲いている。そして、その隣には縦横に組まれた木製のフレームから、四段、十列、合計四十個にもなる水を入れたフラスコ型のガラスの容器が吊られ、その中から各々違った花びらが顔を出している。散歩の通り沿いのこの店は、内側の明かりも余り漏れては来ず、入り口横のガラスのファサードが全てこの装飾で覆われている。「何の店だろうね」とハルといつもつぶやきながら、不思議に思っていた。店の名前や、独特の飾りつけからしてひょっとしたら南欧か南米か、外国の人なのかな、普段このあたりでは見られない多様な文化の一端を感じるように思えたものだ。ある日の夕刻、散歩に出ていつものようにそばを通りかかると、知り合いのワンちゃん仲間の女性が、入り口が開いた店の前で店主さんと談笑しているところに差し掛かった。「あっ、ここは美容室なんですね」と一瞬、声を出してしまった。きれいに飾られた花々の前で、女性が巧みに話をするのを、そばで相づちを打ちながら聞いていると、全て自分でアイデアのもとに飾りつけをしているようだ。

きちんとした考えを持たれた、なかなか個性的な美容師さんのようである。さまざまな花々と共に、多様な文化の、多様な職業の人を見たような気がしたものである。

子供達の交叉点

散歩道の一角に子供たちで一杯になる交叉点がある。このところのコロナ対策によるフレックス制の通学時はそうでもないが、それまではとにかく朝の通学時間帯の混み様は、住宅地のこの付近でも一様ではなかった。小さい順に、保育園児、小学生、そして高校生が同時間帯にこの交叉点を利用するのである。交差する両者とも歩道のある二車線道路で、制限三十キロ、途中に速度抑制装置のハンプもある生活道路なのだが、南北を抜けるメイン道路の脇に走る車の通り抜けに利用されており、信号もないので特に朝の通勤時間とも重なると、一時的にかなりの車の交通量ともなる。歩くのが最も遅いのが母親に手を引かれまだたどたどしい歩き方の保育園児、その横を通り過ぎるのが黄色い学習鞄を背負い、揺れる給食袋、手にはハーモニカや画材道具を入れた箱を持ち、交通ワッペンを張った帽子をかぶって、談笑しながら歩く小学一年生の群れ、それをよけながら頭が一つ抜きんでた上級生が追い越していく。そして一列に並んだ自転車通学の高校生たちが車道の端を進んでいく。

交叉点では、挨拶を交わしながら交通整理の旗を持った小学校からPTAの親二人と、高校からは職員、先生が三人の合計五人が車、自転車、子供たちと手分けをして交通整理をしている。少々過剰な気を付け方のようではあるが、我が国の交通事情、マナーを考えると致し方ないのかな。「ハルちゃん、我々もせいぜい邪魔にならないように注意しよう」。

幸せもの

僕は幸せ者である。といっても、建物の話ではあるが、ハルと散歩するコースには、数点のわが作品が建てられている。いずれも、毎朝・夕、ちょっと回り道をすれば目にする位置にある。これといって特別の感情はない。わが子供たちと一緒で、そこに存在すること自体が普通であるからかもしれない。ここは苦労したな、あそこをこうやっておけば、と思うこともあまりない。その都度、真剣にプロジェクトに取り組んでやったものだ。その中の一つ、K電力の社員寮は、特別に思い出深い。設計当時、外部に開いた建物をイメージして通風を感じるバルコニーを作りたいと思い、穴あきブロックの案に鉛筆を幾度も走らせ、沖縄に何度も通った(当時から、経済的に成り立たない建築材料は本土ではもはやあまり作られていなかった)ことや、コンクリート製の手摺柱の太さの施工で現場の所長さんと討論を重ねたことなど、散歩の通りすがりに思い出す。その後、この所長さんとは、つい最近まで互いの交流が続いたものだ。

三十年前、竣工時に植えたヤマモモの木は徐々に大きくなり建物のファサードを覆うまでに成長した。ふさふさと濃い常緑の葉を茂らせ、時の経過とともに建物と調和し一体感をなすようになったようだ。ただ、反省点もある。植物は夜露が当たらないところでは育たないことだ。ピロティ下の花壇に植えたツタは成長せず、とうとう枯れてしまった。もう一つ、半公共的な企業の施設として、住居ではあったが塀を取り除き、道路に面した場所にコミュニティ用にとベンチを設置したのだが、浮浪者が横になるかもという理由で数年後取り払われてしまった。今となっては、近隣の高齢者や幼児のための格好の場所だと思うのだが、時代を少し早く先取りしすぎたかな。

坂道の上の建物

大通りと平行に走りJ緑地に向かう登り坂の脇道沿いに、朝日を浴びて燦然と輝く四階建ての建物がある。赤茶色の煉瓦状タイルを張った外壁は、陽を真正面に受けてオレンジ色に輝き、丸くアーチ状の窓と上部にとんがり状の緑青屋根をふいている姿は、この時間帯周囲を圧倒するかのような存在に見える。直線の坂道から、この建物脇を抜けて一直線に伸びて緑地の上に至る階段は見ごたえがある。ハルはこの道が大好きである。静かな上に、つまり先にある緑地の自然林に鼻が利くのであろう。この方向に来ても、たいていの日は階段下の公園状の場所で散歩を済ますのではあるが、朝から晴れ渡った日曜日の今日は、坂道の建物に勇気づけられたせいか、五十段はある階段を上って、上部の空き地に行くことにした。ハルが強くリードを引っ張る。毎日、シリアルにカルシウムの多いにぼしを加えて朝食にあげるので、脚は丈夫なはずだ。やっと上まで上がると、青空のもと緑に囲まれた空き地が広がっていた。

誰もいないのを確かめて、リードを外してやる。生き生きと嬉しそうに、自由に雑草のにおいをかいで回っている。かけっこをすると跳ねるようにして追いかけてくる。「ハルちゃん、良かったね」。